2010年 09月 19日
「作戦タイムってありですか?」
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ユニオンエクスタシー組合員 Tamara です。
私は現在、京大の時間雇用職員として働いています。「5年でくび」の当事者になり、有期雇用というものが他人事ではなくなりました。私はシングル(女性)で、京大のお給料で生計を立てています。
今から数年前、ワーキングプアという言葉がマスコミに現れ始めた頃、私にとって、仕事や住む場所を失うということは、まだ「対岸の火事」だったように思います。
それがこの2年の間・・・離婚、それも準備がなく急な離婚だったため、経済的な苦労もする中で、意識は大きく変わりました。
自分は安全地帯にいると思っていたのが、じつは幻想だったということ。
それはとても心細い発見でした。でも、同時に、ひとつの新しいアンテナが、自分の中に立ったような気もするのです。
貧困とか、ワーキングプアという、ある意味「最先端」の渦中に自分が生きているという実感。「私も当事者だ」というリアリティーが生まれ、実際、生活の不安を抱える中で、労働と貧困、さまざまな差別、婚姻制度の問題・・・などなどが、数珠つなぎのように、自分とのつながりで見え始めてきました。
同時に、これまで何となく感じてきた「生き辛さ」や世間への違和感のようなもの、の正体が、じつは社会の仕組みと大きく関わっていることも実感し始めました。
スムーズに生きられないことに劣等感を持ち、自分を責めがちだった私にとって、それは、少しほっとするような感覚でもあります。謎が解けていくような感じ、肩の力が抜けていく感じ、がそこにはあります。「ひとりで抱えなくてもいい」「ひとりじゃない」ことの発見が、私の中で始まった、と言ったらいいかもしれません。
・・・・・・と、今でこそ、こんなふうに整理して言えるのですが、実際は、離婚から現在まで試行錯誤、迷走の2年間でした。
離婚のストレスで軽い鬱状態になる中、精神状態を立て直したいと受けたカウンセリングでは、カウンセラーの言葉にかえって傷つき、落ち込んだり。就職活動では理不尽な思いをしたり(面接は、こちらが雇用者側を見極める場でもある。そういう意味で両者は対等でなければならない、とつくづく思いました)。
離婚してから京大に就職するまでの1年間は、そんなジタバタの中、とにかく見つけたパートの仕事と、貯金を崩しながらの生活になりました。
そういえばこの時期、ハローワークで応募しようとした京都の出版社の求人(正規)は、1名募集に対し180人余りの応募という超高倍率。あと1件(独立行政法人・正規)も、1名募集に対し86名という数字。ハローワークの職員さんも、「こんな倍率、京都の会社ではこれまでなかった」と驚いていましたっけ。「それでもチャレンジしてみる!」というガッツと余裕は、正直、この時の私にはありませんでした。
職探しも進展せず、だいぶへこんでいた時期、ちょうど昨年の夏の盛り。思い立って、近所のお気に入りの銭湯に行きました。そこは小さな露天風呂があって、日によってはお月様が見えたりして、素敵なのです。
ゆっくりつかって、空を見上げて・・・・心もゆるんだお風呂上がり。番台前のソファーに座って、置いてある京都新聞を広げました。そこに、「くびくび」の裁判を伝える記事が載っていました。
見出しは「弁護士なし2人『作戦タイムってあり?』京大座り込み明け渡し訴訟」。
それは雇い止めに抗議して座り込む「くびくび」のふたりに対する、明け渡し訴訟の口頭弁論を伝える記事でした。
----京大側がこの日新たな主張を示し、弁護士に頼まず争う二人は、不意をつかれたかたちとなった。そこで「作戦タイムってありですか?」と裁判長に3分を要望。それに対し裁判長が「3分と言わずに5分間どうぞ」と休廷を認めた。そして京大側には「数日前に書面を出すのは当然」と諌めたという内容。
「非常勤職員は5年で一律くび」を導入した京大に対し、時計台の前で座り込みをやっているらしいということは、この記事が出る少し前、一乗寺のカフェで見つけたチラシで知っていました。
そして、この記事でまた彼らと「再会」し、心の奥がピンと反応したのです。
なぜだろう?
私は労働運動に関わったこともなく、知識もないのですが、まず、二人で座り込み、というやり方が、斬新に思えたこと。仲間は多い方がいいはずですが、でも、まずは二人からでも始めてしまう、というところ。「へ~、こんな闘い方ってあるんだ~」とその無謀さに驚きながらも、すっと胸に伝わるものがありました。
そして何より、裁判というシビアな状況で、「作戦タイムってありですか?」の言葉。自分の言葉で闘ってるんだな、この人たち・・・。そこには、懸命さだけではない、どこか笑いを含んだセンスも漂います。
今にして思えば、私自身、生きるための職探しで苦しい時だったので、まさに「(人生の)作戦タイムってありですか?」の心境でした。お願いする相手は裁判長ではなく、神様になると思いますが、とにかく、作戦タイムが必要でした。この言葉は、そんな疲れた私に不思議に作用し、気持がふっと軽くなるような気がしました。
「生存」という根幹のところで、この二人は闘ってくれている・・・他人事とは思えず、「ありがとう」と、心の中で勝手にお礼をつぶやきました。
さて、その後、たまたま応募していた京大の、時間雇用の職が決まりました。何のご縁か、私も「5年でくび」の当事者になったわけです。
「あの座り込みの人たちは、どうしているのかな」。気になりながら、時計台前のくびくびカフェに顔を出したのは、着任してからなんと数ヶ月も後のこと。くびくびの、どこかしらアナーキーな気配に、私が勝手にびびっていたせいもあるでしょう。
「そろそろ、勇気を出して行かなくては。あのふたりに仁義を切らなくては・・・」と、初めて訪れた初夏の少し肌寒い日。カフェには、やはり自由でアナーキーな香りが漂いながら、ていねいに淹れてもらったコーヒーは、とても優しい味がしました。
つづく(かも)
(Tamara)
私は現在、京大の時間雇用職員として働いています。「5年でくび」の当事者になり、有期雇用というものが他人事ではなくなりました。私はシングル(女性)で、京大のお給料で生計を立てています。
今から数年前、ワーキングプアという言葉がマスコミに現れ始めた頃、私にとって、仕事や住む場所を失うということは、まだ「対岸の火事」だったように思います。
それがこの2年の間・・・離婚、それも準備がなく急な離婚だったため、経済的な苦労もする中で、意識は大きく変わりました。
自分は安全地帯にいると思っていたのが、じつは幻想だったということ。
それはとても心細い発見でした。でも、同時に、ひとつの新しいアンテナが、自分の中に立ったような気もするのです。
貧困とか、ワーキングプアという、ある意味「最先端」の渦中に自分が生きているという実感。「私も当事者だ」というリアリティーが生まれ、実際、生活の不安を抱える中で、労働と貧困、さまざまな差別、婚姻制度の問題・・・などなどが、数珠つなぎのように、自分とのつながりで見え始めてきました。
同時に、これまで何となく感じてきた「生き辛さ」や世間への違和感のようなもの、の正体が、じつは社会の仕組みと大きく関わっていることも実感し始めました。
スムーズに生きられないことに劣等感を持ち、自分を責めがちだった私にとって、それは、少しほっとするような感覚でもあります。謎が解けていくような感じ、肩の力が抜けていく感じ、がそこにはあります。「ひとりで抱えなくてもいい」「ひとりじゃない」ことの発見が、私の中で始まった、と言ったらいいかもしれません。
・・・・・・と、今でこそ、こんなふうに整理して言えるのですが、実際は、離婚から現在まで試行錯誤、迷走の2年間でした。
離婚のストレスで軽い鬱状態になる中、精神状態を立て直したいと受けたカウンセリングでは、カウンセラーの言葉にかえって傷つき、落ち込んだり。就職活動では理不尽な思いをしたり(面接は、こちらが雇用者側を見極める場でもある。そういう意味で両者は対等でなければならない、とつくづく思いました)。
離婚してから京大に就職するまでの1年間は、そんなジタバタの中、とにかく見つけたパートの仕事と、貯金を崩しながらの生活になりました。
そういえばこの時期、ハローワークで応募しようとした京都の出版社の求人(正規)は、1名募集に対し180人余りの応募という超高倍率。あと1件(独立行政法人・正規)も、1名募集に対し86名という数字。ハローワークの職員さんも、「こんな倍率、京都の会社ではこれまでなかった」と驚いていましたっけ。「それでもチャレンジしてみる!」というガッツと余裕は、正直、この時の私にはありませんでした。
職探しも進展せず、だいぶへこんでいた時期、ちょうど昨年の夏の盛り。思い立って、近所のお気に入りの銭湯に行きました。そこは小さな露天風呂があって、日によってはお月様が見えたりして、素敵なのです。
ゆっくりつかって、空を見上げて・・・・心もゆるんだお風呂上がり。番台前のソファーに座って、置いてある京都新聞を広げました。そこに、「くびくび」の裁判を伝える記事が載っていました。
見出しは「弁護士なし2人『作戦タイムってあり?』京大座り込み明け渡し訴訟」。
それは雇い止めに抗議して座り込む「くびくび」のふたりに対する、明け渡し訴訟の口頭弁論を伝える記事でした。
----京大側がこの日新たな主張を示し、弁護士に頼まず争う二人は、不意をつかれたかたちとなった。そこで「作戦タイムってありですか?」と裁判長に3分を要望。それに対し裁判長が「3分と言わずに5分間どうぞ」と休廷を認めた。そして京大側には「数日前に書面を出すのは当然」と諌めたという内容。
「非常勤職員は5年で一律くび」を導入した京大に対し、時計台の前で座り込みをやっているらしいということは、この記事が出る少し前、一乗寺のカフェで見つけたチラシで知っていました。
そして、この記事でまた彼らと「再会」し、心の奥がピンと反応したのです。
なぜだろう?
私は労働運動に関わったこともなく、知識もないのですが、まず、二人で座り込み、というやり方が、斬新に思えたこと。仲間は多い方がいいはずですが、でも、まずは二人からでも始めてしまう、というところ。「へ~、こんな闘い方ってあるんだ~」とその無謀さに驚きながらも、すっと胸に伝わるものがありました。
そして何より、裁判というシビアな状況で、「作戦タイムってありですか?」の言葉。自分の言葉で闘ってるんだな、この人たち・・・。そこには、懸命さだけではない、どこか笑いを含んだセンスも漂います。
今にして思えば、私自身、生きるための職探しで苦しい時だったので、まさに「(人生の)作戦タイムってありですか?」の心境でした。お願いする相手は裁判長ではなく、神様になると思いますが、とにかく、作戦タイムが必要でした。この言葉は、そんな疲れた私に不思議に作用し、気持がふっと軽くなるような気がしました。
「生存」という根幹のところで、この二人は闘ってくれている・・・他人事とは思えず、「ありがとう」と、心の中で勝手にお礼をつぶやきました。
さて、その後、たまたま応募していた京大の、時間雇用の職が決まりました。何のご縁か、私も「5年でくび」の当事者になったわけです。
「あの座り込みの人たちは、どうしているのかな」。気になりながら、時計台前のくびくびカフェに顔を出したのは、着任してからなんと数ヶ月も後のこと。くびくびの、どこかしらアナーキーな気配に、私が勝手にびびっていたせいもあるでしょう。
「そろそろ、勇気を出して行かなくては。あのふたりに仁義を切らなくては・・・」と、初めて訪れた初夏の少し肌寒い日。カフェには、やはり自由でアナーキーな香りが漂いながら、ていねいに淹れてもらったコーヒーは、とても優しい味がしました。
つづく(かも)
(Tamara)
by unionextasy
| 2010-09-19 15:01
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