2010年 01月 15日
タリーズコーヒー京都大学時計台店開店に際して
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■京大カフェ、時計台で“マッチ” 「くびくび」に続きチェーン店 (京都新聞、1月15日)理事の西村周三さんへ
あえて今日は、いち京大人として書いてみます。もうかれこれこの辺に20年もいるのでそう名乗ってもいいでしょう?
今日、あなたに人間として間違っていると言われました。たしかに、今日のタリーズコーヒーのレセプションにおける我々の行動に間違いがなかったのかと言われれば、イエスとはいいません。
直前に聞いて駆けつけたために、充分な準備なしの抗議活動となり、私たちの気持ちをうまく伝えられなかったのが非常に残念です。
でも西村さん、時計台のコーヒーがチェーン店でいいんですか。
コーヒーは文化だと思います。
ここ京大周辺は独特の魅力をもつ学生街です。古本屋と喫茶店の街。百万遍はいまでこそ、ファーストフードの店も増えて少々殺風景にはなりましたが、チェーンのコーヒーショップはありません。かわりに、たくさんの個性的なカフェがあります。日本にカフェを紹介したともいえるような進々堂、光のうつくしい学士堂(最近休まれているようです)をはじめ、長くやっているところでも、コレクション、zaco、ホームタウンなど、名店がつづきます。それぞれに独特の空気があります。ここは京都のカフェ文化を代表するところです。その真ん中、京大時計台にチェーン店、ああ。
三条大橋(東海道の始点)にスターバックスが陣取ったとき、
河原町の丸善(cf.檸檬)が巨大なカラオケ屋になってしまったとき、
京都という街が、なにかを売りわたしてしまったかのような気分になりました。今回もどこか似たような感じがあります。
本間政雄―岸本佳典以来、京大の施設関係は、ださださです。
翻ってくびくびカフェ、良くも悪くも京大らしい、と言われてしまいます。古い人からは、懐かしいとか、まだこんなところがあってよかった、なんて言われます。どうやら意識的にではないですが、どうしてもここにいた経験から、京大的なものを引き継いでしまっている部分があります。そういわれると不本意な気分にもなりますが(京大にとってもくびくびにとっても)、くびくびはどこか京大文化なのでしょう。いわれてどこか不本意、文化とはそういうものなんでしょう。
チェーン店のコーヒーはどの店でも同じであることが求められる。もちろん働く人で素敵な店になったりもすることもありましょう、でも、文化にまではならないと思うのです。
くびくびは労働運動としては試行錯誤の真っ只中、しかしカフェとしては間違っていないと思っています。確かに、ここは不思議な交流の場となっているのです。おそらくカフェとは、くびくびみたいなものなんです。どう思われます?
さて、長くなりますがくびくびのコーヒーについて書いてみます。
ここ1年弱コーヒーとつきあってきて、コーヒーは文化だと思いました。そして、アートでもあるというんでしょうか?コーヒーの魅力に取り付かれつつあります。薪ストーブでの焙煎ですが、本当にこれが面白い。
コツとしては、多めの薪をストーブにいれ、炎が落ち着き始めたころから、中華鍋に豆をいれ、最後は炭火で。この焙煎方法の良さは、目で豆の色の変化、そして鼻で香りの変化を感じられること。まだまだ未熟ですが、飲まなくてもこれはおいしいとかんじられるようになってきました。うっとりです。
焙煎された豆は、空気に触れることで変化していきます。実は、焙煎して2日目くらいで落ち着き、2週間くらいまでが味、香りが豊かでおいしいのです。
その手ごろな豆を、その場で挽き、吉田山の水をストーブでわかして、ゆっくりとドリップしています。
フェアトレードの小規模農家の生豆を主に取り寄せていますが、ここに来るまでコーヒーは育て、摘み、乾燥、ピッキングとさまざまな人の手作業によっています。なので、くびくびでも、その豆を大切に感じながらして手作業で、焙煎、ドリップ、サーブをしています。
うちのコーヒーにはマニュアルはありません。毎回違う味がすると思います。別にマニュアル仕事を馬鹿にしているわけではありません。それも必要だと思います。しかし、コーヒーは嗜好品の中の嗜好品です、一杯をいれる過程を悦びながら、豊かに味わいたいのです。
ぜひ、一度西村さんにも来ていただいて、うちのコーヒーも味わってもらいたいと思っています。(kyohe)
by unionextasy
| 2010-01-15 02:05
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