2009年 11月 30日
座り込み映画祭をおえて
|
「ブライアンと仲間たち」の早川監督による国際座り込み映画祭のレポートがあります。
http://brianandco.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/20091122-fcf1.html
さて、
映画を両方みて、どちらにもうんうんと実感としてうなずく部分があり、なんだか私たちの座り込みは、外泊っぽさとブライアンぽさ、と両方あるなと思いました。
シンポジュームでの早川さんのお話は面白かったです――
ミレ監督は、労働問題、ジェンダーの問題から撮っている。
私は、立ち上がることができるということを撮りたかった、その違い。
遠藤さんからは、
座り込みは嫌がらせであるのと同時に、交流の場である。(教育の場でもある。)
という指摘や、
「座り込みは我慢比べ」という指摘を受けました。
たしかに。
いつまで続けるのですか? とよく質問を受けます。しかし、いつまで続くかわからないところが、座り込みです。
「いつまで続けるの?」という問いを持ち、その問いにさらされながらながら続けるのが、座り込みなんでしょう。
「外泊」で心を打つのが、ストライキが長期化し仲間が離れていく中、残る人は離れていく人を責めないその気持ち、離れていく人の事情や気持ち、それらが伝わってくるところだ。
(闘争の裏に家庭や生活がある、ということ、それは男性主体の運動でもそうなんだけど沈黙させらてきた、女性主体の運動だから、それが焦点化することになった。ジェンダーのアンバランスとその解放と葛藤が描かれる。シンポではこの辺の話にはあまりなりませんでした。でも、また外泊について語り合う場はできるのではと思います。)
シンポジュームの中で私が「ぬか床」ということで言いたかったのは、生活のこと。(そして出版活動のこと。)生活も出版ももちろん私一人でなりたっているものではない。これは、話したい核心のテーマでもあり、ずっと悩んできたことでもあり、せっかくちゃんと表にだすチャンスだったのに、生活というものについて笑いを誘うような軽視する言い方で話が終わってしまいました。批判もあり、それを受けて、この件については項を改めてちゃんと書いてみます。(kyohe)
最後に沖縄・辺野古(大浦湾の村々)についての素敵な本から引用してみます。
「シマが揺れる 沖縄・海辺のムラの物語」
文章 浦島悦子 写真 石川真生
http://www.koubunken.co.jp/0375/0373.html
から引用します。
8年の間にさまざまなことがあった。はじめは地域ぐるみだった反対運動から、どんどん仲間がいなくなっていく淋しさ、心細さは、体験してみないとわからない。
住民運動って割に合わないよなーと、つくづく思う。だって、相手はありあまるカネと権力を持った政府や大企業。こっちはカネも権力もないただの住民。国家公務員や作業員が給料をもらいながらやってくることに対して、こっちは仕事を休んで、家庭を犠牲にして反対運動をする。長続きできないのは、ある意味あたりまえ。向こうのは時間をかけて、こっちが日乾しになって降参するのを待てばいい。あー、悔しい!
その上、反対すれば仕事をよこさないとか、子供の就職に差し支えるとか、圧力をかける一方、立派な公民館を防衛局予算で建てたり、地域の貧しさにつけ込んで、「地域振興」という名目のおカネでじわじわと、反対できないように縛り付けてくる。
そんな中で、反対運動をやらなくなった人たちを私は批判したくない。それぞれに切実な事情がある。‥‥
(このあと、賛成派の多い土建業界で働きながら変わることなく反対運動を続けている渡具知夫婦のインタビューがつづく)
http://brianandco.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/20091122-fcf1.html
さて、
映画を両方みて、どちらにもうんうんと実感としてうなずく部分があり、なんだか私たちの座り込みは、外泊っぽさとブライアンぽさ、と両方あるなと思いました。
シンポジュームでの早川さんのお話は面白かったです――
ミレ監督は、労働問題、ジェンダーの問題から撮っている。
私は、立ち上がることができるということを撮りたかった、その違い。
遠藤さんからは、
座り込みは嫌がらせであるのと同時に、交流の場である。(教育の場でもある。)
という指摘や、
「座り込みは我慢比べ」という指摘を受けました。
たしかに。
いつまで続けるのですか? とよく質問を受けます。しかし、いつまで続くかわからないところが、座り込みです。
「いつまで続けるの?」という問いを持ち、その問いにさらされながらながら続けるのが、座り込みなんでしょう。
「外泊」で心を打つのが、ストライキが長期化し仲間が離れていく中、残る人は離れていく人を責めないその気持ち、離れていく人の事情や気持ち、それらが伝わってくるところだ。
(闘争の裏に家庭や生活がある、ということ、それは男性主体の運動でもそうなんだけど沈黙させらてきた、女性主体の運動だから、それが焦点化することになった。ジェンダーのアンバランスとその解放と葛藤が描かれる。シンポではこの辺の話にはあまりなりませんでした。でも、また外泊について語り合う場はできるのではと思います。)
シンポジュームの中で私が「ぬか床」ということで言いたかったのは、生活のこと。(そして出版活動のこと。)生活も出版ももちろん私一人でなりたっているものではない。これは、話したい核心のテーマでもあり、ずっと悩んできたことでもあり、せっかくちゃんと表にだすチャンスだったのに、生活というものについて笑いを誘うような軽視する言い方で話が終わってしまいました。批判もあり、それを受けて、この件については項を改めてちゃんと書いてみます。(kyohe)
最後に沖縄・辺野古(大浦湾の村々)についての素敵な本から引用してみます。
「シマが揺れる 沖縄・海辺のムラの物語」
文章 浦島悦子 写真 石川真生
http://www.koubunken.co.jp/0375/0373.html
から引用します。
8年の間にさまざまなことがあった。はじめは地域ぐるみだった反対運動から、どんどん仲間がいなくなっていく淋しさ、心細さは、体験してみないとわからない。
住民運動って割に合わないよなーと、つくづく思う。だって、相手はありあまるカネと権力を持った政府や大企業。こっちはカネも権力もないただの住民。国家公務員や作業員が給料をもらいながらやってくることに対して、こっちは仕事を休んで、家庭を犠牲にして反対運動をする。長続きできないのは、ある意味あたりまえ。向こうのは時間をかけて、こっちが日乾しになって降参するのを待てばいい。あー、悔しい!
その上、反対すれば仕事をよこさないとか、子供の就職に差し支えるとか、圧力をかける一方、立派な公民館を防衛局予算で建てたり、地域の貧しさにつけ込んで、「地域振興」という名目のおカネでじわじわと、反対できないように縛り付けてくる。
そんな中で、反対運動をやらなくなった人たちを私は批判したくない。それぞれに切実な事情がある。‥‥
(このあと、賛成派の多い土建業界で働きながら変わることなく反対運動を続けている渡具知夫婦のインタビューがつづく)
by unionextasy
| 2009-11-30 21:50
| 私たちの主張






