2009年 10月 31日
明け渡し判決についての声明
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一昨日は、傍聴に来ていただいた皆さん、ありがとうございました(おかげで満席でした)。結果は残念でしたが、いわゆる「5年問題」をめぐってはまだ全く何の進展もありませんし、今も当局の団交拒否は続いています。判決は「クスノキの下を明け渡せ」というだけで、現在いる土地については大学から何も言われていませんので、座り込みとカフェの営業はこれからも変わらずに続けていきます。
今回の裁判についてですが、弁護士さんにも相談した結果、大学に土地の所有権がある以上、今回のようなケースを「これは職場占拠である」と主張して占有権原の有無を争っても、まず勝てないことは分かっていました。(まことに不当極まりないとは思いますが、最高裁の判例がそうなっているので仕方ありません。)そこでいったん大学の請求を任意に履行して土地を明け渡してしまい、その上で「訴えの利益がない」と争うことにしました。
それでも大学側が、訴訟の取り下げはもちろん、裁判所がすすめる和解にも応じなかったことは意外でしたが、この8ヵ月間で大学に「話し合いの姿勢」を感じたことは皆無でしたから、まあそんなものかとも思います。
「もう土地を明け渡しているのに、明け渡し判決を出す意味があるのか?」という私たちの問いに対しては、裁判所は、「(占有移転禁止仮処分の目的は)…仮処分決定に基づく執行当時の現状の固定を図ることにある。そのため、本案訴訟においては、仮定的あるいは暫定的にその後の変更を無視して訴訟追行をすることができると解すべきである」と判示しました。
要は、現状がどうであろうと「仮定的あるいは暫定的に」話をすすめる、と言っているだけです。テクニカルな法理論としては一応筋が通っている(?)のかもしれませんが、現実からあまりにかけ離れている、という意味で不当判決だと思います。
私は思うのですが、座り込みというものは、それこそ不法占拠といつでも紙一重で、もしも労働組合が本気でまっとうに闘おうとしたら、それはゆくりなく「非合法」に接近するのではないでしょうか。(「徹底した合法主義を貫けば非合法主義に近づく」という脇田滋先生の名言を思い出します。)
コメント欄でもいろいろ議論されていますが、合法/非合法ということで言えば、憲法、そして(その理念から演繹された)労働法は、強い者の恣意的な権力行使をしばるための法です。それに対して民法は、対等な市民間の紛争を解決するためのルールにすぎません。たとえ同じ「法」の名で呼ばれるとしても、その意味合いはまったく異なります。裁判では、「原告・被告」と呼ばれることによって、両者はあたかも対等な関係であるかのように錯覚され、そこに存在する圧倒的な力の差(非対称性)を、目に見えなくしてしまうのです。
今回の判決は、大学当局が自らの不正な権力の行使(5年条項の存在、団交拒否、話し合いによる紛争解決の放棄 etc.)を「合法性」の名の下に隠蔽し、それを裁判所が追認した(かのように見える)、というだけのことにすぎません。実際、裁判所は、民法上の「合法性」について担保しただけで、憲法上の、そして労働法上の「合法性」については一切言及していないからです。憲法上の団結権・団体行動権にもとづく組合活動の自由や正当性を、私法上の権限の有無によって判断する、という倒錯がここにはあります。
私たちの座り込みや活動は、大学当局によるこの強権的な力の発動に抗議するための、抵抗です。だからそれを「違法」だとか「暴力」だとか言われても、私としては「お門違いだ」としか言いようがありません。参考までに、マーティン・ルーサー・キング牧師の言葉を、(酒井隆史さんの『暴力の哲学』から孫引きして)引用しておきます。
「『なぜ直接行動を、なぜ座り込み(シットイン)やデモ行進などを。交渉というもっと良い手段があるではないか』と、あなたがたが問われるのはもっともです。話し合いを要求されるという点では、あなたがたはまったく正しいのです。実に、話し合いこそが直接行動の目的とするところなのです。非暴力直接行動のねらいは、話し合いを絶えず拒んできた地域社会に、どうでも争点と対決せざるをえないような危機感と緊張をつくりだそうとするものです。それは、もはや無視できないように、争点を劇的に盛り上げようというものです。
緊張をつくりだすのが非暴力的抵抗者の仕事の一部だといいましたが、これは、かなりショッキングに伝わるかもしれません。しかし、なにを隠しましょう、わたしは、この『緊張(tension)』ということばを怖れるものではないのです。わたしは、これまで暴力的緊張には真剣に反対してきました。しかし、ある種の建設的な非暴力的緊張は、事態の進展に必要とされています。」
(unagi)
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大学の得意げな発表を読むと腹が立ちます(大学がメンツのために続けたとかしか思えない裁判)、負けたので仕方ありません。しかし、なんという判決でしょう、もう明け渡しているのに、明け渡せと。明け渡しを要求してて、明け渡しされたら当然、裁判は終わりにして和解なりなんなりをしなくてはいけません、99パーセントのケースでそうしてます、それを大学が意味なくつづけたことを裁判所は認めてしまった。だからこんな間の抜けた判決文になってしまったのでしょう。
結局判決は、私たちにクスノキ下を占有する権限がないといっているだけです。使用させると、大学側に不利益があるといっています。それはわかりきったことです。
それに対して、私たちはなぜ、クスノキの下にテントを張ってすわりこみをしたのか、語りました。
裁判所はそれには全く言及せず、大学に迷惑だというだけで、判断をしています。
私は、これは座りこみに対する弾圧にも感じるのです。
現在、沖縄の高江(米軍ヘリポート建設反対)で座りこみを続ける人々がいます。その人々を去年、国は裁判所に通行妨害禁止仮処分で訴えました。
また山口の祝島(原発建設反対)で漁船をだして座りこみをする人々にこの十月、中国電力は、裁判所に妨害禁止を求める仮処分で訴えました。
憲法で保障された生存権などのために、立ち上がり座りこみという直接行動をしているのに、それを、単に邪魔かどうかという話に矮小化して判断する。
判決がどうとかいう以前に裁判自体がおかしいのだと思います。(なので私たちは却下判決を求めていました。) こんなおかしな裁判でも、控訴するのに二十七万円かかるそうです。
この判決について専門家の意見を聞きたいと思います。
最後に高江の住民からの訴えから引用します。国を京大、住民を労働者と置き換えても読んでみてください。
「もともと裁判所は弱者の権利を守るためにできた機関のはずです。今回の場合は金と権力と力をもった国が裁判所という司法の力まで使って特定の住民をねじ伏せようとしています。国は裁判所の使い方を間違っています。」
「この、国による仮処分申立て自体が、住民への恫喝、住民運動に参加した者に対する強迫です。萎縮効果をねらった手段としての提訴は、「SLAPP訴訟」と呼ばれ、企業が弱い個人を攻撃するために使われ、極めて不当であると問題視されています。
座り込みをしただけで、通行妨害などということがまかり通れば、生きていくための訴えをするあらゆる種類の住民運動にどれほどの萎縮効果をあたえるでしょうか。ましてや、これは国が国民に対して取るべき手段と言えるでしょうか。」
http://takae.ti-da.net/e2827794.html
(kyohe)
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民事訴訟の終局的な目的は、紛争の解決にある。
クスノキの下はすでに明け渡しており、
雇い止めにしても、ユニオンエクスタシーの組合交渉にしても、
紛争解決にまったく役立っておらず、判決に意味がない。
(組合法務担当P江のコメント)
(追記)→判決文はこちらをご覧ください(pdfファイル、255KB)
by unionextasy
| 2009-10-31 23:59
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