くすのきのこと
|
雨も風も日差しからも守ってもらいました。
ある生態学の先生はいいます、木というものは自らを切りたおしにくる者にも、木陰を与える、そういう慈悲深いものだ。
そしてここにいて木に一番影響のあることは、土を踏み固めるということ、なぜなら実際呼吸したり活動している根は、地表から30センチまでのものだから。
私たちはその話をきいて、テントの規模を小さくしたり、入り口を前にしたり、なるべくまわりを踏み固めないようにしてきました。
この前、ある樹木医さんが奈良からきてくださいました。
人がいるということだけで、木には影響がある。木は森の状態でいるのがいい、一本じゃいけない。だから、ケアが必要だ。
この木は今まで、ちゃんとケアされてきていない。(裁判資料にある、どっかの園芸屋さんの意見書、5年前にDOパイプ10本埋めたと自慢しているが、こんなものはケアになってない、よくしゃあしゃあと、と批判していました。)
木というものは、この、葉の間から空が見えるようではいけない、
だからこの木は元気だというわけではない、
この幹、ごつごつしているところあるでしょ、これは傷をかばって出来たもので、実は中はくさっているとのこと。学園紛争の頃、のこぎりで切られたり、火をつけられたりした(そのときのほとんどの枝を切られた状態の写真が時計台の中の100周年資料室に展示してあります)、その傷を持ちながら、サバイバルしてきた木。
この施工はひどいと、いちばん怒っていたのは、この木の植え込みをぐるっと取り囲んでいる大理石の石組みについてです。ベンチ代わりになって便利なのものではあるけれど、排水口がない。これでは「滞水可能性」があるとのこと。
これは十年くらい前でしょうか、時計台周辺をきれいにした工事のときにされたものでしょう。この施工によってこの木は相当ダメージを受けたのでは、とのことです。(工事を指揮したのは、岸本佳典氏。自分の手柄だと自慢していたという情報提供あり。)
見かけをきれいにするために、痛めつけられていたのか、と思う。
私は、途中から用があり席をはずしました。戻ってみると樹木医さんは帰っていました。
残っていた井上さんが、いいます。
あのひとには、フィロソフィーがある。言葉に重みがある。
「木に触りなさい。」
「何十年もこの仕事をやってきて、ようやく木の言葉が分かるようになってきた。」
「木は物を言わないから知らないうちに(人間が)害している。」
「木の人生に比べたら、40年くらいやってもまだまだ。」
などなど。
私たちは土を踏み固めるところを最小限にしようにしている、でもやっぱり、私たちも木から与えられる一方で、ケアはできていないなあと思う。毎日、大きな木の存在をかんじながら。(つづく)
PS 樹木医さんは、対策についても、「オーガ」という器具を使って、深さ1メートルくらいの細い穴をたくさんあけて、そこにバーク堆肥(腐葉土でもよい)をつめこみ、踏みかためられた地面を柔らかくするのがよい、とそのやり方まで詳しく教えてくれました。
PS このエントリーには、学生など京大関係者の反響が大きい気がする。2600人もいる非常勤職員の労働問題は語られないのに、が、クスノキの話では盛り上がる、なんだかしゃくなのです。
(kyohe)