はじめて団交に参加しました
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終業後おいしいコーヒーが飲みたくなったとき、今でこそ、くびくびカフェに「こんにちは」と行けるようになりました。それまでは恐る恐る遠くから様子をうかがう・・・という時期が続いたことなど、前回(9/19)書きました。(コメントをお寄せ下さった方々、どうもありがとうございました。)
そんな臆病な自分が組合員になり、その上、まさか団交に参加するなんて。
今年の9月9日、5年条項撤廃の団交に、現職の組合員として出席したのです。非常勤職員の生の声を伝える、というのが私の役目でした。「団交」が「団体交渉」の略ということも、つい最近まで知らなかったのに!
労使交渉というのは、運動用語を駆使して激しくやり合う、というイメージを持っていました。鉢巻きしたりして。机をたたいたりして。自分が参加しても戦力になれないのでは? 参加を断ろうかとずいぶん悩みました。また現職は匿名参加可能とはいえ、もし何かで身元が知れたら、職場や自分にどんな影響が及ぶのか心配です。
でも、ここは一歩踏み出してみるか・・・少しの勇気が生まれ、参加することにしました。
いよいよ当日。ユニオン総勢7名、まずはくびくびカフェに集合です。浪曲を聴いて気合を入れてきたというIさんは、鉢巻きはしないまでも、ネクタイを締めてハレの装い。一方Oさんはいつものリラックスしたファッションで、皆に「それパジャマ?」と突っ込まれていましたが、発声練習をしたりして準備を整えます。
私はといえば、緊張し、「平穏に(?)終わりますように、うまくしゃべれますように」と心の中で祈る気持ちでした。
この時の団交の主要テーマは、5年条項撤廃です。京大のお給料で生計を立てている者として、「非常勤は全員5年で首切り」が、とにかく一番の不安のタネです。
いえ、5年もつのかどうかさえ、わからない。職場で「予算が減っている」という話を聞くたび、重い気持ちになります。心底不安なときは、不安を口にすることすらコワかったりします。不安にフタをすると、そこにブラックホールが生まれます。そんなときはいつも、離婚直後、生活にいき詰まったときの体験が蘇ってくるのです。
さて、団交で私が話したのは、身をもって経験した就職活動の厳しさ(正規職の応募倍率の高さ)、そんな中で京大時間雇用の職を得、現在なんとか生活できていること、そしてこれからも京大で安心して働き続けたい、という内容でした。
塩田理事は私の発言を、目をみながらしっかりと聞いて下さり、まず「いろいろとご苦労様でした」と語りかけて下さいました。その真摯な言葉はこちらの胸にすっと伝わり、嬉しい、と素直に感じました。続いて次のようなコメントがありました。
「今のような労働条件でずっと働かれると、あなたにとっても良くない」「正職員の採用試験やほかの可能性にぜひトライして、次の道を頑張ってほしい」・・・・・
この言葉を聞いたとき、私は思考がストップするような感覚に陥りました。「正論」かもしれません。そして理事の「善意」も感じます。でも、何か胸につかえる感じがして、返答の言葉が出ませんでした。
もし、私の母がこの理事のご意見を聞いたなら、大賛成していることでしょう。「理事のおっしゃる通りよ。組合も大事かもしれないけど、それより、早く次の道を探しなさい。年ばかりとってますます就職が不利になるわよ」と。これは、おそらく「世間代表」の意見でもあると、今までの経験から確信します。
ただし、なのです。理事は大学経営の当事者です。団交は働く者と経営者との交渉の場。そういう場で、「うちの職場の労働条件はあなたにとってよくない」「他の道を頑張れ」と諭されてしまうって、どういうことなんだろう?
私の頭がストップしたのは、「あなたのため」という名のもと、話が「自己責任」にすり替わったからだと、今にして思うのです。言われた私は虚を突かれ、「ああ、やはり自分の問題だ、自分が頑張らねば」と思ってしまう。すべてを自分が背負う方向へと、思考が傾いてしまう・・・。
このロジックは、いろんな場面で使われている気がします。あなたのため、としながら、言う側の都合が巧妙に隠されていたりします。たとえばプレイボーイが「君のために別れよう」と言うような?
個人としては誠意でおっしゃった言葉でも、このロジックのもとで、理事は経営者として責任転嫁をしていることになるのでは? そして、そのことに気づいておられないのでは?と考えてしまうのです。
「自己責任」の落とし穴に落ちると、人はどんどん孤独になる・・・自分の経験からもそう思います。社会的な構造の問題があるのに、それが見えないと、生き辛さをすべて自分のせいにし、苦しい、と声を上げることもできなくなっていく。孤独の果てに待っているものは、なんでしょうか?
予想のつかない人生のハプニングがあり、泣いたり笑ったりして、これまでやってきました。私自身これからどう生きていくか、考えながら歩んでいきたいと思います。一方京大は、社会的責任のある研究・教育機関として、また府内でも有数の事業所として、正規も非正規も安定して働ける体制を作っていく努力が求められるのではないでしょうか。ワーキング・プアが拡大している現在、安定した雇用や均等待遇のモデルケースとして、日本のトップに立つくらいの意識をもって。
ですが団交の場では、ここがどうしてもかみ合いません。原因は何でしょう? 最近ユニオンのメンバーと話し合う中ではっきりしたのは、「非常勤は不安定であたりまえ」という前提が大学にある、ということです。いえ、実は私の中にもそうした感覚はありますし、友人や知人と話していても、この前提は根強いと感じます。これまでの「日本の常識」を引きずっているのだと感じます。
安定して生きたいなら、非常勤ではなく正規を目指せ、登用試験の狭き門を突破しろ。それはそれで選択肢には違いありません。しかし、かなり高いハードルです。もし私が登用試験に通ったとしても、京大非常勤全体の割合からすると例外中の例外。塩田理事のアドバイスには、「試験に通る能力がない人間は使い捨てられても仕方ない」というメッセージが、裏表の関係でもれなくついてくるのです。
これだけ非正規雇用の割合が増えている時代(全体の3分の1、女性は過半数という最近の政府統計)、また有期雇用も増加の中、「非正規は不安定であたりまえ」を受け入れていては、生き辛い社会がどんどん加速していくでしょう。
ヨーロッパでは、非正規は不安定な分、待遇面での優遇や、公的な保護もいろいろあると聞きます。非正規であっても安心して生きていくことを求め、主張していいのだ・・・これは新鮮な発見です。そして自分の中でほっとする感覚が生まれます。これからは非正規で働く私たち自身の意識の変化が、新しい社会への橋渡しになるのではないでしょうか。
この日の団交は平行線をたどり、とても歯がゆい思いが残りました。終わってくびくびカフェに戻り、とにかくお疲れ様! 皆で乾杯です。なんだか「家」に帰った気分。私は『預言者』という詩集(カリール・ジブラン 1923年著)の一節を思い出していました。
あなたがたの家は、錨となるな、マストとなれ。
傷を覆い隠すための派手な被いとならず、
目を護るための瞼となれ。 (佐久間 彪 訳)
この詩の表現を借りれば、ユニオンのシンボル・くびくびカフェは、風をはらんだマストかもしれません。被いで固められた家ではなく、いつも風が吹きぬけている家。それは非正規という不安定を抱えながら、何か新しい価値観や居場所を作り出しているような気がします。
9月の団交のときは、残暑が厳しく、それでも夜風の心地よい季節でした。そして2010年も暮れていく今、カフェでは薪ストーブが、体をじんわり温めてくれます。